曖昧に物事を掴むというコミュニケーションに向かない認知

ちょっと酔いながら珍しくエッセイなんか読んでてそう思った

認知なんてそんなもんでええよなぁって

自分は昔から(今でも)漢字に一画足りなかったり、
英語のスペル適当な人間やと思う

これは、自分の中で認知はできてるってこと
でも、他人に伝えると伝わらないことがあるってこと(笑)

誰かに伝えること前提やとさ、
「あれをこうしてグァっとやったらこう‼」みたいなのはさすがに、、、、的なものがあるけどさ、
自分がなにかを理解しようとするとき、
曖昧でも、
「あーなんかこんな感じね」って掴むことは多くて。。

後に誰かに説明などせんくてええならそれで十分。
逆になんで正確に物事を捉えなあかんのさ⁉的な気持ち(笑)

認知なんて言葉にしようがないよ

と思う部分と、
知識は外に出せて初めて意味がある
って矛盾的問題

自分は技術屋ではないから特にそう思うのかもやけど、
知識とかなんて曖昧でも問題ないさ

ただただ、
曖昧にでも核心に近づける方が素敵