「誰かがやってくれるだろう」という病気の蔓延

「細部に魂は宿る」、、、は大袈裟だが、
ゲスト感覚が強いとき、
人は細部を見ようとしない気がする。

 

【主体性】ってのはすごく大事で、
ゲストやとしても、「自分が主催者側なら、、、」って考えると物事の細部に意識が及ぶ。
逆に、ゲスト気質が強いと、
流れに身を任せるスタイルになる。
本当は自分が主体的な立場の時にでも。

 

「企画を立ち上げといて、ゲスト側に回る。企画進行の代理も立てずに」的な感じ。

 

「誰かがやってくれるだろう」
これは立派な病気だ。

 

でも何とかなる現実がある。

 

「あの準備誰がやるとか誰か指示受けた?」
「あそこに確認とった?」
「もし○○な時、代案誰か考えた?」
、、、、、

 

いつだって、
蔓延した「誰かがやってくれる病」のフォローをするのは、
ほんの一部の人。

 

「今のままじゃ絶対うまくいかないって!!」って気付いてしまって、
回り見渡して、
病気の蔓延に少し「クソッ」って思って、結構ガッカリして、
立ち回るのは一部の人さ。

 

そうやって物事が回ってしまうもんやから、
主体的な人は気付かない。

 

程度の問題もあって、
多少ならさ、
「そうな。損な役回り、、、慣れてるからエエか(笑)」になるけど、
回りが過度な不感症をおこしている時は、
「えっ?確かに自分が社内発表するよ。で、、、、会場設営、機材セッティング、配布資料準備はどうなってるの???」
「そっか、、、、、今回は全部自分で準備して、自分で発表するのな。。。」
、、、、、、「自作自演か!!!(笑)」

 

「誰かがやってくれるだろう」
この病気は、
組織に蔓延させるべきではない。