自分が誉められることと 仲間が誉められることの嬉しさの違い

グループでの活動。

そこへの評価。

、、、、「自分以外が誉められるって、こんなにうれしいもんなんや」

ってのが本心。

そりゃさぁ
「お前すごい」は嬉しいけど、
「お前らすごい」の方が嬉しくて、
極論、「お前はまだまだやけど、他はすごい」って言われたら、
それはやっぱりすごく嬉しい(笑)

そんな素敵な状況におれる幸せを感じれるから。

自分は(フロントにいても)、そう思ってしまうのだな(笑)

他人事のように「確執」を語られることの違和感

三者からすると、
なるほど、確執は、
「ある」か「ない」かの世界。
でも当人側では、
確執は、(根っこを探ると)、
「生んだ」のか「(気付かぬうちにを含め)生まれた」のかの世界。

きっと「確執」は【そこまで自然発生的な言葉ではない】のだと思う。

気付かないうちに生まれた「確執」もあるし、
選択肢として選んだ「確執(が生まれることも仕方ない)」もあるだろう。

どちらにせよ、
【他人事】ではない何かがあったんだろう。
時に一方的なものも存在はするが。

だから、
装いとしての言葉ではなく、
「確執」を「他人事」のように語る人には疑問を感じる。
特に「自分は望んでないけど」のニュアンス出されると。。。

確執は、
「生む」ものであり「生まれる」ものなのだから。

「望んでないけど」のニュアンスを含んだ軽い感じの「自分は○○と確執あるから」は、
ただの、【被害者面】だと感じる。

ワインのテイスティングと蕎麦のすすり

食事のマナーでよく、
「フランス料理は音をたててはダメ」
みたいなのがある。

逆に、
日本では蕎麦を主とした麺類は、
「音をたてて食べるのが正攻法」
みたいな感じもある。

でもね、
ワインのテイスティングでは、
下唇を内に入れて空気を送り込み、
ズズズズズズ、、、、
ってやるやん。
この(フランス料理的な)矛盾。

これは日本酒でも同じで、
自分は大学の頃から日本酒の味を図るとき、
同じことをやる。
「恥ずかしいからやめろ」
といわれたこともあるけど、
いまだにやる。

だって、そうすることで日本酒の香りがたつから。

で思った。
蕎麦も一緒だなって。

この場合は麺というより
出汁の香り、風味なのだろう。
実際に香りがたつのが実感できるし。

だから、
作法は作法として置いといて、
ブクブク
ズズズズズズ
は素敵な食べ方、飲み方だと思った(笑)

「塩味」の読みと言葉の持つ立体的な意味

自分はこれをいつからか「えんみ」と読んでる。

で、ふとこれを文章を打ってみたら、スッと変換されない。。

これは恥ずかし誤読か、、、、
と調べると色々わかった。

ネットの中には「えんみなんて聞いたことない」的な人も多かった(議論がされてる)
基本、「しおあじ」が多数派。
でも辞書にも「えんみ」があるみたい。

それらを調べて得た印象は
「しおあじ」は主役が塩の味付け。
焼き鳥の塩かタレかみたいな。。。
言葉通り、「塩の味付け」ということ。
味付けの分類だと思う。
だからポテトチップスの「うすしお」は、
キツ目ではない塩の味付けってことで、
その味のイメージを多くの人が共有できる。

それに対して「えんみ」は、
辞書的には「塩加減」が的を射る感じなのかな。
「しょっぱい」って分類の感覚に、
方向性を加えた感じ。
「強い」「弱い」を伴って使うなら、
やっぱり「えんみ」なんだろう。
※「しおあじ」なら濃い、薄いで同じかも。。でも、味は基本「強い」「弱い」で表現する。苦味も酸味も。

分類に方向性(ベクトル)を持たせた立体的な使い方が基本なのかもしれない。

「気温」っては定点的な言葉で
「温度」が感覚を伴った言葉みたいに。
※気温が高い、低いは実数値の話なのに対して、
(エアコンとかの)温度を上げて、下げての時は「温度」と言うのは「感覚の数値」なのと同じかもしれない

別の話
味付けは、
「旨味」✖「塩味」で基本が決まると思ってる。
そして、一定以上に「えんみ」が達した瞬間に、「旨味」が引き立つ事を経験している。
だからこそ、
料理で「塩加減」が多用されるのに対して、
「甘味加減」「苦味加減」「旨味加減」とは使わないのかもしれない。
きっと、「塩加減」に一番近いのは「酸味加減」(笑)

イメージする事の大切さと大変さ

基本はもの作りの話

 

料理でも発表資料でも指輪でも動画でも、、、、、

 

偶発的に良いものができることはある。

それを人は「降ってきた」って言うのかな。。

 

でもそれは

いきなり、勝手に、降ってきやしない。

 

悩んで、あがいて過ごす日々の合間に、

ふと、沸き立つものだろう。

 

最近もの作り(動画とか発表資料とか指輪とか)してる中で、

「イメージできないものは決して産み出せない」と感じる。

 

結果、想像してない良いものが生まれることはある。

でもそれは、その人が潜在的に持ってた何かが作用した気がする。

 

ほとんどは

イメージと、そこに至るスキルとのギャップとの戦い。

 

上手くできない歯痒さと、

目標との距離とぶつかりながら、

そのギャップを少しずつでも埋めてこ。

って思う。

 

人は

なりたい自分をイメージできるなら、

そこに至る道筋をイメージできるなら、

きっとなれる。

 

そう思って生きていきたい。

「緊張」っていつか楽しめるのかな?(笑)

勝者のメンタリティーにはなれないよね。

簡単には(笑)

 

先週とある発表をして来た。
県下、同業の協会による技術発表会。

まぁ、あるよね、、、、の世界なわけやけどさ、
自分、技術者ではなくて営業ですから(笑)

 

身から出た錆
安請合い、、、、
色んな事思ったけど、
そうゆうこともあるよね、、、、
的に思ってた。

 

公聴者は500人弱。
誰が誰かもわからんし、
恥ずかしくない発表ができればと。。。

 

でね、別の側面で思った。
「緊張」ってコントロール難しいなって。

基本さ、
何かを発表するときは、
数人だろうと、
数十人だろうと、
数百人だろうと、
関係ない気がしてる。

だから淡々と発表すればええ。
きっと事前にはそんなに緊張しない。
死ぬ訳じゃないし(笑)

 

でも、どこかで、
「伝えたい❗」って気持ちがあるからさ、
人数が増えると、「届くかな?」の気持ちが表に出すぎてさ、
緊張君が横に来る(笑)

 

勝者のメンタリティーは、
見て、聞いてくれる人が多い方が、
ベストなパフォーマンス出来ることな気がする。

 

「届けたい‼」
は起点として同じでも、
「届くやろ❗」と
「届くかな?」の差は大きくて、
その場に立つと、
「さぁ、皆聞いて!!」にはなれず、
不安(届くかな?の)が顔を出して、
指先が震える。


声だけは震えないようにしながらさ(笑)

 

「緊張を楽しむ」、、、
「勝者のメンタリティーにはほど遠いなぁ」と思いながら、
いかにしたら「緊張」と友達になれるのかなぁ、、、と思った。
「緊張(プレッシャー)を楽しむ」とは、
いかにハードルの高いことか、、、、とも(笑)

【補足】相手を「病気」だと思うことの利点

さっきさ、

「誰かがやってくれるだろう」は病気だ。

って書いた。

http://woyuki.hatenablog.com/entry/2018/06/04/185246

 

についての補足。

 

無論、そんな病など無い(笑)

でもね、「あぁ、あれは病気だよ」って゛思う゛事のメリットはある。

 

それは、、、、

「じゃあ仕方ないね」の感情。

 

「罪を憎んで人を憎まず」

と同じで、

「その人自身が悪い訳じゃない。だって、ある種の病気だから」

っていう、

自己暗示に近い感情。

 

でも、

その人そのものを「嫌いにならない」「憎まない」ってことでは、

すごく大事な感情。