「あなたの耳や心を汚したくなかったんだと思う」

今呼んでる有川浩の「キャロリング」という小説の一文。

何気なく読んでたから、
心の「涙腺スイッチ」の切り忘れ。
って言っても切り方なんてわかりゃせんけどさ(笑)

「自分の不幸と人の不幸を天秤にかけることの無意味さ」
という話の流れ(主題ではないのやろうけど)。

心に傷を受けたことのある人は、
同じことで誰かを傷つけてしまうかもしれないっていう強迫観念がある。
そしてそれは、
傷を持たない人には理解できない世界かもしれない。。

親しい人が居て、
「その人の全てを受け止めたい」とか、
「自分の全てを知ってほしい」とか、
そんな風に思うことはあったとしても、
自分の傷の痛さまでも、
「わかってよ‼」とは言えないのかもしれない。
ってか「わかってくれるな‼これは、知る必要の無い痛みやから、、、」と思ってしまう気がする。

相手からすると、
「それでも辛いなら、一緒に背負いたい。」と思う気持ちの方が、自分自身近いのかもしれない。
それでも(心の黒さ全般の色んな意味で)、
「この汚れを知らない相手には、
こんな汚れがあることすら知らさなくてええ。」って気持ちはわかる。

人に寄り添いたいと思うことと、
不躾に踏み込むことの違いを想った。